復刻版!
プロレス・スーパースター列伝vol.22
グレッグ・バレンタイン&ルイ・ティレイ
- 商品番号:SPD-3022
- 収録時間:100分
- 価格:税込¥2,200(本体価格¥2,000+税)
- 仕様:カラー/STEREO/片面1層
- リージョン:ALL
- Jan 4941125630221
- ISBN978-4-86308-926-6 C2875 Y2000E
- 発売日:2023.02.18
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プロレス界のスーパースターがよみがえる!
往年の勇士と現在の素顔を追った感動のドキュメンタリー映像を復刻!
プロレス黄金時代を築いた数々の名選手たち。すでに現役を退いた彼らの自宅を訪れ、プライベート空間で本当の素顔に迫った。今ではその多くが鬼籍に入り、2度と収録することはできない貴重な映像記録したDVDを復刻。永久保存版。 -
父親譲りの実力ファイターグレッグ・バレンタイン
父である妖鬼ジョニー・バレンタイン譲りの毒針エルボー攻撃を得意とし、新日本プロレスの常連外人として藤波、長州らと激闘を繰り広げたグレッグ・バレンタイン。 1950年9月10日、ワシントン州シアトルに生まれる。1970年、大学を辞めレスラーになることを決意。カルガリーのスチュ・ハートの下で修行を積み、7月、アンジェロ・モスカを相手にデビュー。半年後デトロイトに移り、ザ・シークのトレーニングを受ける。翌1971年から74年にかけ、ドン・ファ ーゴとファーゴブラザースを結成し、ジョニー・ファーゴを名乗る。その後単身フロリダに転戦しグレ ッグ・バレンタインに改名。1975年10月の飛行機事故で父ジョニーが引退し、息子であることを正式に表明した。76年、ミッドアトランティック地区でリック・フレアーとタッグを結成。金髪のゴージャスコンビとして売り出し世界タッグ王座を奪取。78年、WWFに進出。王者バックランドの好敵手として活躍。その後はNWAとWWFをまたにかけトップレスラーとして活躍を続けた。84年以後はWWFマ ットに定着。インターコンチネンタル王座や世界タッグ王座を獲得。91年に離脱しその後はインディ団体を転戦。2004年WWF殿堂入りを果たした。
幸せのエンジェルと共にルイ・ティレイ
「フランスの流血王」の異名を持ち、一度も来日しなかったが、日本においては1960年代から70年代にかけ「まだ見ぬ強豪」のリストに常にランクされていたルイ・ティレイ。 1950年代後半はカナダのオタワ、モントリオール、ケベックシティを中心とするサーキットで中堅に甘んじていたが、1960年に南部ジョージア、テネシー、テキサス、カロライナ地区に南下してから本領を発揮。南部各州のシングル、タッグの王座を総ナメにした。1965年の6月から11月にかけては、当時テキサス州をサーキット中であった若き日(23歳)のアントニオ猪木とライバル関係にあり、タ ッグで34回、シングルで6回の対戦記録が残っている。シングルは1勝4敗2引き分けと劣勢だったが、最後の対戦となった1965年11月2日、ダラスにおける対戦では隠し持った鉄パイプ凶器で猪木を突き、遂にフォール勝ちをおさめて執念を見せた。1975年にはロサンゼルスでレス・ソントンを破りアメリカス・ヘビー級、同じくジョン・トロスとのコンビでアメリカス・タッグ王座の2冠を奪取し、新日本への来日も噂されたが土壇場の負傷で実現しなかった。デスマッチにも強い典型的な流血ファイターとして、黄金時代のアメリカ・マットを彩った名脇役の一人である。