ジャケット写真 プロレス・スーパースター列伝

ディック・スレーター&タリー・ブランチャード

商品番号 SPD-1509
収録時間 105分
価格 税込¥5,184(本体価格¥4,800)
カラー カラー
音声 STEREO
字幕  
リージョン ALL
ディスク種類 片面1層
POS コード 4941125615099
ISBN コード ISBN978-4-86308-255-7 C3875 Y4800E
発売日 2010.06.19
VHS作品の有無  
内容 プロレスの歴史を作って来たスーパースターたち
往年の勇姿と現在の素顔を追った感動のドキュメント

数十年に渡り、ショービジネスの本場アメリカにあって、娯楽の中心であり続けたアメリカンプロレス。その人気を支えたのは個性溢れる様々なスターレスラー達であった。彼らの往年の名勝負、現在の姿、インタビュー、メッセージなどで構成されたファン感涙のドキュメント。第9弾はディック・スレーターとタリー・ブランチャード。 
収録内容

右利きのテリー”喧嘩番長”
ディック・スレーター

テリー・ファンクの弟分として全日本プロレスマットで人気を集め、無鉄砲で荒々しいファイトスタイルから喧嘩番長と呼ばれた。
タンパ大学時代はレスリングとフットボールで活躍。ヒロ・マツダの下でトレーニングし、1972年にフロリダCWFマットでデビューした。ラフファイトが得意な若手ヒールとしてダスティ・ローデスとコンビを組み、1975年からはジョージアに転戦してボブ・オートンJrとの喧嘩屋タッグで活躍。1977年には中西部地区に参戦し、ジャック・ブリスコからミズーリヘビー級王座を奪取。NWA次期王者候補として注目されたが、その後フロリダに戻り、南部ヘビー級王座、USタッグ王座、フロリダヘビー級王座などを次々に戴冠した。
日本マットには、ファンク・ファミリーの一員として1974年に初来日。テリー・ファンクにそっくりなファイトスタイルで「右利きのテリー」と呼ばれ、常連外人となった。1980年の第8回チャンピオンカーニバルでは、テリー、ブッチャーらの大物を抑えて決勝に進出。ジャンボ鶴田と優勝を争い、名実共にトップレスラーとなった。UNヘビー級王座、インタータッグ王座に度々挑戦し、世界最強タッグにも4度出場するなど、実に通算17度に渡って全日本プロレスマットに参戦した。
アメリカマットでは、1983年よりミッドアトラティック地区でリック・フレアーと抗争を繰り広げ、1986年後半にはザ・レベルのニックネームでWWFマットに登場。ドン・ムラコ、アイアン・シークらと闘った。1996年、背骨の負傷がもとで引退。

塀の中の宣教師
タリー・ブランチャード

1980年代にリック・フレアーを中心に結成され、アメリカマットで一世を風靡した「フォー・ホースメン」オリジナルメンバーの一人。ジノ・ヘルナンデスとのダイナミックデュオ、アーン・アンダーソンとのブレーンバスターズで知られるタッグの名手。
AWAマットで活躍したジョー・アンダーソンを父に持ち、ウエストテキサス大学時代にはテッド・デビアスやティト・サンタナらと共にフットボール部に所属。卒業後の1975年、SCWマットで父親との親子タッグを組みデビュー。ザ・ファンクスらとの抗争で力を付けた。1981年、ジノ・ヘルナンデスとダイナミックデュオを結成。サウスウエストタッグ王座を通算5度に渡って保持するなど、悪役コンビとして大活躍をした。1986年1月、リック・フレアーとの伝説的ユニット「フォー・ホースメン」を結成。人気悪役としてNWAマットを席巻した。1987年9月、アーン・アンダーソンとのコンビでNWA世界タッグ王座を獲得。1988年後半にはアンダーソンとのコンビでWWFに登場。ブレーンバスターズの名前で、ブリティッシュブルドッグス、ハートファウンデーションらと闘い、1989年7月にはデモリッションを破ってWWF世界タッグ王座を奪取。NWA王座との2大タッグ王座を制した。しかし同年10月ドラッグテストにかかりWWFマットを離脱。1990年にセミリタイアした。その後はプロテスタントの説教師となり、宣教活動を行いながら、インディ団体の試合に時折出場。1995年10月には大阪で「無我」旗揚げ戦に参戦し、藤波辰爾と闘った。

出演  
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