大野一雄は、無我の境地を踊る。東洋の空を、無の世界を踊る。風のように踊る。
舞踏家 大野一雄ドキュメンタリ映画
大野一雄 ひとりごとのように
[DVD]カラー100分/税込¥5,184(本体価格¥4,800)/品番SPD-9803
2000年、大野一雄は腰を打ち、歩行不能におちいる。やむなく、病院で治療を受ける。
数日後、激痛が治まると一雄は舞踏研究所に逃れ、徹底的な身体の鍛え直しから再生の道をスタートさせる。
2001年、一雄の子息、大野慶人の舞踏をめぐる思索とWorkshopから映画は始まる。ワーク・ショップでは一雄も踊る。床に伏し、転がり、全身で舞踏にぶつかっていく。何としても、もう一度自分の踊りを踊りたい、その欲求と生来の強靱な意思とが、一雄を回復に導く。
95才の誕生日を祝う舞台公演の話が持ち上った。公演に向けてのリハーサルが進む。
その頃、一雄に言葉の障害が起こりはじめる。日常生活の喜怒哀楽を、舞踏で表現しようとする。インタビューに踊って答える。ひとりごとのように踊る。
公演は、じっと椅子に坐った不動の構えと空間を生き物のように舞い踊る上半身や手指の表情、靜と動の対比の妙味の中で、成功裡に終った。
織部賞受賞のため、六百キロの列車の旅に出る。車椅子の旅の不自由さも意としない。
受賞後のアンコールに応えて、踊る。一雄の高揚はすさまじいばかり。その覇気は舞台に溢れ、客席を圧倒する。賞に対する敬意と授賞の喜び、そして丁寧な返礼の舞踏は、観客の祝福の拍手に包み込まれる。
大野一雄はいつまでも踊り続ける。
大野一雄(Ohno Kazuo)
「舞踏の祖」と呼ばれる故土方巽と共に、日本舞踏の草創期を形づくった舞踏家。
1906年(明治39年)北海道、函館に生れる。日本体育会体操学校(現日本体育大学)に在学中、スペイン舞踊、ラ・アルヘンチーナ(アントニア・メルセ)の公演に接し衝撃を受け、石井漠、江口隆哉、宮操子等にモダン・ダンスを学ぶ。9年間の戦争を華北・ニューギニアでくぐり抜けた後、1949年、神田共立講堂で、大野一雄現代舞踊公演を挙行。59年迄の4回の自主公演を通して土方巽と出会い、以後土方との様々な共同作業がはじまる。土方演出で、代表作となる「ラ・アルヘンチーナ頌」(1977初演)、「わたしのお母さん」(1981)、「死海」(1985)が生まれる。1980年、ナンシー国際演劇祭に「ラ・アルヘンチーナ頌」「お膳または胎児の夢」をさげて初参加、以後ヨーロッパ各地をはじめ、中南北米大陸、オーストラリア、アジア、イスラエル等で無数の公演、ワークショップを開催、その足跡は文字通り全世界に及ぶ。舞踏は「BUTOH」と呼ばれ、大野一雄の公演は世界的に注目されるようになる。1986年、土方巽、死去。以後、大野慶人演出で、「睡蓮」(1987)、「蟲びらき」(1988)、「花鳥風月」(1990)等々の作品を発表する。1991年、映画詩「魂の風景」に出演、自然の中で天衣無縫に即興詩を踊る。そして秋鮭の登る頃、北海道石狩川河口の雄大な自然を背景に河と鮭に捧げる舞踏詩「石狩の鼻曲り」、1993年、横浜赤レンガ倉庫のフロアー全面を使った創作舞踏「御殿、空を飛ぶ。」と、スケールの大きな踊りを矢継ぎ早に発表する。90歳を越えてなお第一線での活躍を続け、1999年10月、第1回ミケランジェロ・アントニオーニ芸術賞、2001年11月、織部賞グランプリ、2002年1月、朝日舞台芸術賞特別賞を受賞。
2007年1月、大野一雄 百歳の年 ガラ公演「百花繚乱」を上演。老いをダンスの糧とするかのように、大野一雄の踊りは続いている。
撮影と監督 大津幸四郎(Otsu Koshirou)
1934 年生まれ。岩波映画製作所を経て、「圧殺の森」(1967年)、「三里塚の夏」(1968年)、「水俣」「不知火海」(土本典昭監督)等の水俣シリーズ、「泪橋」(劇)「かよこ桜の咲く日」等の黒木和男監督作品の撮影を行う。アレクサンドル・ソクーロフ監督の「ドルチェー優しく」、ジャン・ユンカーマン監督の「ノーム・チョムスキー」「日本国憲法」を経て、最新作「エドワード・サイード−OUT OF PLACE」(佐藤 真監督)、「三池ー終わらない炭坑の物語」(熊谷博子監督)でカメラを回している。今回の「大野一雄 ひとりごとのように」では、撮影と監督(第一回監督作品)をつとめている。
[赤レンガ倉庫]舞踏公演
大野一雄
御殿、空を飛ぶ
[DVD]カラー64分/税込¥5,184(本体価格¥4,800)/品番SPD-9802
1993年4月3,4日、横浜新港埠頭赤レンガ倉庫の倉庫保存を記念して、大野一雄主演、大野慶人演出による舞踏「御殿、空を飛ぶ。」の公演が3号上屋で行われた。この公演には、多くの舞踏家、音楽家、写真家、美術家等が参加し、スケ−ルの大きなコラボレ−ションとなった。本先品は、4月4日公演分から大野一雄出演場面を中心にして制作したものである。
大野慶人
1938年、大野一雄の次男として生れる。1959年、土方巽の「禁色」(三島由紀夫原作)に少年役で出演する。以後、土方巽の暗黒舞踏公演に缺かせぬ踊り手となる。及川廣信にクラシック・バレエ、パントマイムを学び、バレエ東京、アルトー館公演等に参加する。1985年、舞踏フェスティバル’85に「死海」(土方巽演出)で大野一雄と共演。1987年、シュツッガルト世界演劇祭に「睡蓮」(大野慶人演出)をもって大野一雄と参加。以後、大野一雄作品「蟲びらき」「花鳥風月」「天道・地道」等々の演出者、共演者として大野一雄と行動を共にする。1998年、郡司正勝氏の遺稿をもとに自身のソロ公演「ドリアン・グレイの最後の肖像」を上演。著書に「大野一雄 魂の糧(フィルムアート社)」。
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